すーてき散人空の紙

北陸発、テキスト偏重、テーマは原則その時々、気分次第の旬刊ないし月刊、あるいはときどき不定期刊のブログです。

<span itemprop="headline">クルマの話を《14・終わり》あとがき、つけたし</span>

クルマの話を《14・終わり》
あとがき and つけたし


 ●● 「クルマ
の話を」と題して、記憶にある由なし事を書いてみようと思い立ったのは、以下2つのことから。

  1つは、タイヤ交換に立ち会った際の、若い整備士との会話。
ロータリーエンジンコスモスポーツやスバルのてんとう虫など、筆者が中高校生のころに憧れたクルマ、あるいは時代を画した
クルマの話をしてみても、「知らないから…」「生まれるずっと前のことだから…」と反応が今ひとつ。好きな車を問うとようやく「キューブかな」と四角い居間感覚の車の名を挙げてくれた。察するところ、もはや車は憧れの対象たりえず、生活のパーツとなった。なるほど、日本のモータリゼーションは半世紀が過ぎて成熟期にあるらしい。


2つ目は、昨秋の
金沢城公園クラシックカーフェスタでのこ

幼子を抱いたカップルがひきつけられた車の運転席をのぞき込み、Vサインで車と記念撮影していた。そうか、20代、30代にとっては見方を変えれば
クラシックカー初めて目にする「新たな車」なのだ、と感得したのである。クラシックカー転じてニューカーとなる場合も、世代によってはあるのだ。一周遅れのトップランナーという言葉を思い出しましたな。


翻って、
戦後ベビーブーム世代の末端に連なる1950年生まれは、幸いにも、日本のモータリゼーションの成長過程を、黎明期からずっと真横に見ながら育ってきた世代なのである。折りもおり、動力源はHVからPHV、EV(電気自動車)へと、いわば内燃機関から電子と電機のいわば「エレキシステム」へと変移しつつある昨今でもある。そうして、ガソリンを燃料とする内燃機関には終焉の気配すら漂う昨今なんである。

であれば、かつて憧れたクルマや画期を成したクルマ、選びに選んで愛車としてきたクルマたちについて、自分なりに書いて見るのもいいかな。いや、書いた方がいい。むしろ書くべきだ、と思い至ったのであ
る。
「クルマの話を」シ
リーズは、そんなこんなの、遠い昔の記憶をたぐり寄せつつの「極私的クルマ談義」。ちなみに、表記「車」は普通名詞としてごく一般的に、「クルマ」は個人的に何かしら思い入れのある場合と分けたつもり。


それにしても、24歳で初めてマイカーを持って以来40年。乗り継いできた車は、シリーズ後半の愛車編で書いたとおり、5台である。1台平均8年乗
り続けた勘定だ。
 これが長いか、短いか。
エコカー減税が導入されたころ、ケニアの環境副大臣ワンガリ・マータイ女史)の提唱によって「もったいない」が、既に国際語になっていた。一番戸惑ったの
は、クラシックカーの範疇に入った30年以上も昔の車のオーナーたちでなかったろうか。車庫に入れ、修理修繕を重ね、場合によっては再塗装し、雨の日は乗らず、定速走行を第一にいたわってきた愛車。それを乗り換えなさいというのだから。
エコカー減税とは手っ取り早く言えば、古いクルマにいつまでも乗っていないで、排ガス規制をクリアした燃費のいい、したがって環境負荷も小さい「新しい車」にさっさとの乗り換えな、という奨励策である。「もったいない」の言葉となんか正反対だ、逆行しているゾとだれしも感じたはず。
だから、筆者なんぞ、サニーやファミリア、パブリカなど往年の大衆車《国
民車》が走っていたら、街中で出くわしたら、よくぞここまで!と心中、喝采を贈り、永年現役の健闘を称えたいと思う。


ーーーーーシリーズで取り上げたクルマを振り返りつつ、
つけたしのクルマ2台の紹介へーーーーーーーーーーーー
◆前半(憧れたクルマ、画期のクルマ)
1》ロータリーエンジンコスモスポーツマツダ
2》360㏄軽四のスバル360通称てんとう虫
3》RRの伯爵夫人、
コンテッサ1300(日野)
 4》当初ハンドメイド曲線、117クーペ(いすゞ
5》日産に吸収合併されたプリンスのグロリア
6》小林旭さんうたう自動車ショー歌
◆後半(わが愛車遍歴)
7》FFの先駆、レオーネ(スバル)
8》キャブレター無し、ジェミニディーゼルいすゞ
9》4WD5枚ドアのランサーディーゼル(三菱)
10》ガソリン4WDのカペラワゴン(マツダ
12》IMAハイブリッドのインサイト(ホンダ)。
13》
日本自動車博物館(小松市)訪問記でスーパーカー「キャスピタ」、通称バタバタ、陸王
14》あとが
き&つけたし

つけたしとして、映画に出演した車2台を紹介。小松市にある日本自動車博物館で写真に収めました。(ちなみに、同館では展示車の撮影OK)


■写真左は、トヨタ2000GT
「007は2度死ぬ」でボンドカーとして準主役級の出演でしたな。高校生の時、富山の映画館まで見に行った思い出の1巻。ボンドガールは浜美枝さん、姫路城をバックに鍛錬の空手師範として丹波哲郎さんも出演。日本のあちこちでロケが行われ、ほとんど日本制作の映画といえた。実は、名車はヤマハとの共同開発だったとかで、ヤマハは当時から、いつでも4輪に参入できた自力のあるメーカーだったのだと再認識。タイヤホイールはマグネシウム合金だったな。この映画が、日本の車、ひいては日本文化の世界的認知と高い評価をググッと引き寄せてくれたと考えている。
 
■写真右は、いすゞBXD30(ボンネットバス
1968年製造。こちらは、映画「ALWAYS 続3丁目の夕日」に出演した。昨秋の金沢城公園クラシックカーフェスタで見かけ、日本自動車博物館で再会したのだが、まさか、キャスティングされ、小松市からロケ撮影に茨城まで出かけていたとは。そういえば東京タワーを背景に、有楽町・銀座辺りをボンネットバスが走っている懐旧のシーンもありましたな。
角のとれた丸っこい車体で、渋い脇役でしたな。


シリーズ読
了に感謝。
きょうは、これにて。