すーてき散人空の紙

北陸発、テキスト偏重、テーマは原則その時々、気分次第の旬刊ないし月刊、あるいはときどき不定期刊のブログです。

<span itemprop="headline">クルマの話を《6》 自動車ショー歌</span>

クルマの話を《6》 自動車ショー歌
既掲載は
《5》 プリンス・グロリア(2代目)
《4》 スバル360
《3》 いすゞ117クーペ
《2》 日野・コンテッサ1600
《1》 マツダコスモスポーツ


クルマの話を《6》 自動車ショー歌

▽内外の車名をもじってひねってストーリーに
▽勤勉の国の得がたいコミックソング
自動車産業の胎動期しのばせる


今回はちょっと息抜きに歌の話を。ただし、やはりクルマ関連でー。
●『自動車ショー歌』は実にオモロイ流行歌でしたな。小林旭さんの鼻に抜ける高くマイルドな声で、高度経済成長期の華、東京オリンピック(1964年)当時大ヒットしました。

よくぞ、国内外の車の
メーカー、ブランド、車名をごちゃまぜに、次から次ともじってひねって、掛け合わせて織り込んで、それでいて一本のストーリーに仕上がっていて…、聞く方はまさに、唖然呆然でした。
国産も外車もない、み~んな同じ車だ~~という、ざっくばらんさ、分け隔てなく和気あいあいと登場してくる?さまは、今思うと、実に五輪東京大会の閉会式を思わせる、五輪開催年にふさわしい(!?)歌だったんですな。(この段、全くのこじつ
けです)。復唱、自動車ショー歌


●1番から4番
の歌詞に登場する車は、わかりやすく外車から挙げていくと、パッカード、シボレー、ジャガー、フォード、ビュイック、タウナス、マーキ
ュリー、ルノーオペル、ミンクス、オースチン、ベンツ、ヒルマン、クライスラー、リンカーン、ワーゲン。

  国産車は、トヨペットニッサン、クラウン(初代=写真、ドアはいかにも和風な観音開きです)、コロナ、デボネア、コルト、ブルーバード、キャロル、ダットサンコンテッサ、マツダ、グロリア、ベレット、セドリック。
 トラック、バス専業の日野、いすゞが当時製造の乗用車もあれば、消えたメーカー、プリンスの車も登場する。軽四勢はマツダのキャロルがただ一車入っている。

●外車がほぼ半数を占めるのは、わが国の自動車産業が、まだまだよちよち歩きの時代で、すなわち▽提携先の外国メーカーから輸入した部品を国内で組み立てる「ノックダウン生産」▽あくまで自力自社生産▽日本法人を設立した外国メーカーが直接生産するーという、この3方式で車が生産されていた。要するに技術移転・修得のこの時期、日本の道路をこの3方式の成果が、ブランド、車名もそれぞれに、綾なすよ
うに走り回っていた。そんなわが国の自動車産業史の一時期がほの見える歌なんですな。

帰って来たヨッパライ』と双璧

●これだけのも
じり、ひねり、あえて言えば駄じゃれ連発の主はいったいだれか? あらためて調べてみると、星野哲郎作詞とあった。水前寺清子の『三百六十五歩のマーチ』で知られ、「演歌とはすなわち人生の応援歌」と演歌の一面を喝破した演歌界の大御所である。そして、秘蔵っ子の歌手、水前寺に「チーター」とちょっと異なニックネームを付けた人。
「ちいさなたみこ(実名・民子)」だから、ちとたで、チーターだってさ!。名前の“先用権益”を持つはずの草原の俊足の野獣チーターと混同される恐れなんぞ全く眼中にありません、全く独自路線のネーミング手法なんですな。ここまで来て初めて分かりました。オモロスギる歌詞、歌誕生の秘密が、土壌がこの「一向にかまわない」精神にあると。

勤勉実直、まじめな国民性には、実に得難いコミックソングですな。さしずめ、フォーク・クルセイダーズの『帰ってきたヨッパライ』が東の横綱なら、『自動車ショー歌』は西の横綱でしょう。
日本自動車産業史の胎動期をしのばせる歌は、“ネーミング逆連想”の一風変わった迷曲で有り、
歌謡史に記憶されるべき名曲でありましたな。

(写真の初代トヨペット・クラウンは、2014年10月、金沢城公園のクラシックカー・フェスタで撮影) 

 きょうは、これにて。