すーてき散人空の紙

北陸発、テキスト偏重、テーマは原則その時々、気分次第の旬刊ないし月刊、あるいはときどき不定期刊のブログです。

<span itemprop="headline">クルマの話を《8》 続スバル・レオーネ</span>

クルマの話を《8》 続スバル・レオーネ

▶38豪雪を体験、FF先駆車を選択
▶脱輪も「よっこらしょ」で路面復帰
▶休日、ボンネットを開ける楽しみも

●脇道から本道に戻って。スバルレオーネ(1600㏄)をマイカーに選んだ理由は、一言で言

えば発売の1975年当時の先駆的技術を、いくつも搭載していたことにある。

▽アルミ合金エンジン  車は重いよりは軽い方がいい。燃費も加速も良くなる。性能アップには、まず重量カットからは常道。レオーネは重たそうな図体の割には軽く、意外にも重量は1トンどころか、ぐんと下回って800㌔を切っていた。

▽水平対向4気筒エンジン  エンジンの置き方の工夫。ピストンを対決するボクシング選手の
グローブに見立て、「ボクサー・エンジン」とも言われる。走行・加速中は、激しい左右のカウンター応酬の真っ最中と思うとエキサイティングであり、エンジン音の相殺効果も期待。独特のエンジン音がスバル党、スバルFANを惹き寄せました。

▽FF(フロントエンジン・フロントドライブ)  RRからFR、そしてFFと推移した日本のクルマ。FFの先駆となったのがスバル。後ろの2輪も駆動させれば、雪にさらに強い4WDとなる。雪国、まして豪雪地帯ならFRでは不十分。FFこそ必須の駆動システムですな。今や雪国に限らずFFが一般大衆車の基本となったことを考えると、レオーネは紛れもない先駆車でしたな。

▽サッシュレス・ウィン
ドウ  窓枠のないドア。実は、これにおおいに惹かれました。ハンドルをくるくる回して窓グラスを降ろし、
ドアを下半分だけの状態にして開閉し乗り降りする時の軽快感、全4枚のドアを開けた時の開放感と言ったら。サッシュレスはいくつもの点でクールでした。
これら先駆的要素に加えて、購入を後押ししてくれたのが、国産車初のレオーネ・エステートバン4WDの生産と、これを日本スキー連盟連盟が公式車両にしたとの週刊誌の紹介記事。長いスキー板を車室内にそのまま積み、4WDならでは雪原を縦横無人に走破できる。(昭和)38豪雪を身をもって知る北陸人として、FFの先駆、レオーネを“私的車両に指定”したと、こういうわけです。

 ●無骨なレオーネ(失礼!)の楽しみは意外なところにありました。ボンネットを開けると、おおらかにもエンジンルームの向こうあちこちに地面が見える。だから、あちこちに手を伸ばせて、点火プラグの隙間調整・交換、ファンベルトの張り具合点検、オイル量点検まで、天気のいい休日には遠出以外にボンネットを開けエンジンルームをのぞき込んだ。サンデーメカニックというやつです。車雑誌「オートメカニック」なんぞを広げてレンチなど手にしていると、車のシステムが分かったような気分にもなります。

FFの威力も実感。左前輪を完全に脱輪させたとき、タイヤ面をU字溝に当てて、アクセルを吹かすとあたかも「ヨッコラショッ」と
でも言うように前輪が持ち上がり、タイヤは路面復帰を果たしたのです。ヘッドライトだけが頼りのホワイトアウトのような吹雪の夜も無事、家に帰還できましたな。

ブラックボックス化、「愛想ない」

●それにしても、点火タイミングのコンピューター制御以降、エンジン周りはどんどんブラックボックス化しました。ボンネットを開けてもほとんど隙間は無く、人の手
を拒否してますな。この先、自動車が「自動運転車」と化した日には、目的地までマシンに「人はただ乗るだけ」。愛車という言葉も段々希薄になっていきそうで、何とも「愛想ない」ことです。

結局、レオーネは走行約7万㌔で買い換えました。雨の強い日などキャブレターが湿気を帯びてエンジン不調を来たすようになったのです。ディーラー工場に持ち込んでも「原因不明。オーバーホール(分解点検)するよりほかない」と返事で、修理を断念。急きょ、キャブレターのない車を探すことにした-。

クルマの話をシリーズ既掲載は
《7》スバル・レオーネ
《6》自動車ショー歌
《5》プリンス・グロリア(2代目)
《4》スバル360
《3》いすず・117クーペ
《2》日野・コンテッサ(1600㏄)
《1》マツダコスモスポーツ
きょうは、これにて。