すーてき散人空の紙

北陸発、テキスト偏重、テーマは原則その時々、気分次第の旬刊ないし月刊、あるいはときどき不定期刊のブログです。

<span itemprop="headline">クルマの話を《9》 いすゞ・ジェミニディーゼル</span>

クルマの話を《9》 いすゞジェミニディーゼル

いすゞジェミニディーゼル

▽セラミック採用で「脱蛍光灯」
▽小型ディーゼルの不思議と魅力
▽バッテリー上がりに気を付けよ


 ●キャブレター(気化器)と無縁の車となれば、ディーゼルしかない。エンジン不調に見舞われたレオーネから、急きょ乗り換えたのが、当時注目のいすゞジェミニディーゼル(1979年発売)。初ディーゼルには慣らし運転の不要な中古車の方が気が楽というわけで、選んだのは白色ボディ、走行距離32000㎞。2代目の愛車となった。

 
 ●内容に正確を期すため、実家で探しに探して30数年前のカタログ(=写真

を見つけた。もうひとつの資料『ディーゼル自動車の本』は見つからなかったが、ともあれ、購入時の古びたカタログを手にすると、ディーゼルエンジン車を選択した理由が徐々に思い出されてきた…。
 それにしても、ガソリン燃料から軽油燃料へ。FFからFR(フロントエンジン、リアドライブ)へ。ついでに言うなら、春の夜の獅子(レオーネ)座から、冬の夜の双子(ジェミニ)座へ。今思うと、われながらなかなかのチェンジであり、イエス、ウィー キャンでありました。

  
 ●選択の決め手となったのは、第一に、バス、トラック専業、即ち
ディーゼル得意のメーカーが投入した、小気味いい1800㏄小型ディーゼルエンジンの乗用車であったこと。第二に、世界で初めて燃焼システムにファインセラミック(陶製)を採用し、ディーゼル車に付きものの「予熱待ち」という、始動までのタイムラグをほとんど解消していたこと。で、ディーゼル車の本まで買って読んでみた次第。
 
 ●ガソリンエンジンに比してディーゼル
エンジンは低中速域のトルクが強く、2速3速ギアでぐいぐい車体をひっぱていくような走行感覚がありましたな。何より、キャブレター(気化器)が湿気をかぶらないか、余計な気がかり、心配は無用となりました。

 ●セラミック
の効用については。「湯飲みのアッチッチ経験」を持ち出すまでもなく陶器は熱伝導率が極めて高いから、グロープラグに瞬時に通電する。おかげでキーをひねると即オン、即エンジン始動。これはまさしく、脱蛍光灯の感覚でしたな。こちらグローランプでしたけど。


●走るだけお得の経済性
 予想以上だったのが、経済性。カタログ燃費29・1㎞だったが、実用燃費はその6、7掛けとしてそれでも御の字なのに、かてて加えて、当時のガソリンと軽油との価格差。ガソリンが90円なら軽油は60円見当だったと記憶しており、差額ほぼ3分の1。走れば
走るだけお得な車でしたな。高くつく車両価格差を何年で埋められるかが焦点、とは車雑誌のアドバイスでありました。(写真上は、自宅前で)
 
 ●難点だったのは、バッテリー上がりの時の四苦八苦。超高圧縮というエンジンの性格上
、24ボルトバッテリー(ガソリン車12ボルト)を搭載していたから、ブースターケーブルを家庭コンセントにつなぐくらいではエンジンはかかってくれず、同排気量クラスのガソリンエンジンにつないで思いきり吹かすか、さもなくば、端からJAFレスキューを待った方が早かった。バッテリー上がりには要注意、事態を招くこと御法度でしたな。
 
 ●総じて数年間、よく走ってくれました。コンマ上6ケタ表示の積算距離計が「99999㎞」となったところで節目の証拠写真を撮ったが、ケタ1つ上は未到の「0」のまま。ディーゼルエンジンの耐久性、頑丈さをあら
ためて痛感しました。
その後どれほどかして、走行中に「バキッ」という異音が駆動系にあったとき、修理工場に診てもらったあげく、買い換えることに。

ロゴマーク復活の可能性は?
 それにして
も、カタログを引っ張り出してきてわかったのですが、矢羽根を逆にくっつけたような赤いロゴマークは、いつ無くなったのでしょう。再度、乗用車を製造の暁には、またフロントグリルを飾っていてくれるのでしょうか? 結構、気に入っていたんですけど。

既掲載は
《8》続スバル・レオーネ
《7》スバル・レオーネ
《6》自動車ショー歌
《5》プリンス・グロリア(2代目)
《4》スバル360
《3》いすず・117クーペ
《2》日野・コンテッサ(1600㏄)
《1》マツダコスモスポーツ

 きょうは、これにて。次回、愛車3代目について。