すーてき散人空の紙

北陸発、テキスト偏重、テーマは原則その時々、気分次第の旬刊ないし月刊、あるいはときどき不定期刊のブログです。

<span itemprop="headline">絶望の淵から希望の地平へ 《志》 (終わり)</span>


●退院の日へ、院内ウオーキング
一般病棟から地階、ホール、渡り廊下 
体力の〝在庫ゼロ〟を解消、補充

   結局7月5、6日(土、日)と日付をまたぎ一晩に3つの病院を巡った。心身ともに実にハードな、特異な体験だった。
1つめの総合病院(内科)では、ニトロ(2粒)投与のあと循環器系病院へ緊急転送。
2つめの循環器系病院では、ニトロ1粒投与を受け、肝臓部位に大きな腫瘍が発見される。腹の激痛等収まらず、医師に懇請のうえ再度緊急転送。
(後日届いた証明書には傷病名「転移性肝癌~」と。)
3つめの石川県立中央病院(消化器内科)で、大きな腫瘍は血の塊であり、良性と判明。緊急なカテーテル手術により、肝動脈の破れ部分を塞栓し修復。20日に退院できた。

  真っ暗な海で波間に沈み消えかけた小舟が、夜明けて波頭に運ばれ
、気づくと沿岸集落の入り江砂浜にいたー。今にしてイメージできる2日間の心象風景である。

  手術後2日間を救急病棟にいて、8日に一般病棟6階の病室に移った。窓からは、北陸高速自動車道も、並行して走る国道8号も、交差する片側3車線の県庁前大通りも見える。車も歩道の人影もみな〝動いて

いる〟。夜はビル、店舗、事務所など大型施設の照明が一帯をパノラマのように照らし出し、ひっきりなしに車のライトが流れる。此方のビルと彼方のビルに挟まれて、さながら、ライトが織りなす7月の夜の天の川のよう。
  7日間の絶食の日々、点滴のチューブを腕に垂らしながら窓外を眺めていると、いまさらながら、社会は24時間、間断なく動き続けている、絶えず社会は活動しているとあらためて実感。
  翻って自分は、GPS地図でいうならずっと一点にとどまったままであり、「当該人物、活動履歴なし」状態だ。そう思うと「自分も早く動き出さねば、活動再開せねば」と、鼓舞された。

  しかし、絶食が解けてみると、腰痛も手伝って、ベッドから起き上がるにも、歩行しようにも難渋し、「体力在庫量ほぼゼロ」を自覚さ
せられた。
点滴ポールを相棒に、地階の売店や、時間帯を見計らって外来の廊下や、玄関ホールを行ったり来たりした。退院が見えてくると、記憶を頼りに柱や壁を飾る絵や写真を鑑賞しながら、一般病棟から救急病棟、救命救急センター、救急車到着口とわが身の運
ばれてきたコースをさかのぼり、胃カメラ大腸内視鏡、CT、MRI、心電図、超音波等々の検査室も巡ってもみた。

  そうして、当たり前のことに、当たり前のように気づく

大は各検査室から小は廊下の絵画や写真、ホールの棚に並ぶ病気ケアのパンフレットに至るまで、どれもこれも、早い日常復帰へ社会復帰へ、希望の幅を少しでも広げてくれる患者支援の「装置」なのだと。


  救急病棟から一般病棟へと移る際、必ず通る渡り廊下がある。新館と本館をつなぎ、天気のいい日も、よくない日も両側のガラス戸からた
っぷりと外光が入る。べッドごと押されて行くわずかの間も、まぶたに光を感ずる。
  勝手に「希望への渡り廊下」写真=と名付け、院内ウオーキングのつど立ち寄った。
(終)