すーてき散人空の紙

北陸発、テキスト偏重、テーマは原則その時々、気分次第の旬刊ないし月刊、あるいはときどき不定期刊のブログです。

<span itemprop="headline">絶望の淵から希望の地平へ 《参》</span>

絶望の淵から希望の地平へ 《参》
 
休診の土曜夕、「食あたりかな?」
沈黙の臓器、「でっかい腫瘍」の警報

そもそもの始まりは、病医院休診の週末、7月5日土曜の午後だった。
同3、4時頃みぞおちの辺りに妙な張り、膨満感があり、早めに帰宅した
。夕刻になってゼーゼーと呼吸が荒く、腹部も痛くなってくる。昼の外食がよくなかったのかと金沢市保健所に電話すると、市役所本所緊急連絡先に転送され、「食中毒や食あたりなどの情報は入っていませんか」と問うたが、「特段、入っていません」という。

受話器を握っている間も、症状がひどくなってくる。電話の向こうから、至急救急車を呼ぶよう促されたが、とりあえず、最寄りの総合病院に車で行くからと告げた。
すると、折り返し電話があって、当該病院に「たった今、『これこれの症状の人が来るから』と
連絡しておいた。至急行ってください」と言う。ありがたい機転に促され、自分でハンドルを握り、やっと、救急外来に着いた。

人気のない救急外来で、椅子に腰懸けて医師、看護師の到着を待ったが、段々耐えられなくなり、とうとう長ベンチに突っ伏してしまった。
救急ベッドで舌下にニトロペン(薬品名)を入れてもらい、小康状態に。それも束の間、またゼーゼーとピッチが早くなり、みぞおちに痛みが走る。再びニトロペンをもらった。

ニトロの効きようから医師は循環器疾患と判断したのだろう、夜8時頃には医師同乗の救急車で循環器系の病院に向かった。医師は救急車内で「循環器の専門医がいる病院に行きましょう」と語りかけてくれた。

(((ここまでが、1つめの病院でのことである)))

2つめの
病院の造影剤CTの画像に写っていたのが、もはや〝あの〟とか〝問題の〟としか言いようのない、こぶし一つ半ほどの大きな腫瘍である。
まさに驚天動地。いつの間にそんなものが体内に巣くっていたのかー。

ちなみに10年前、不整脈から狭心症の疑いにより、カテーテル簡易手術を受け、バルーン療法で冠動脈を拡張した。4年前には大腸内視鏡で切除したポリープから、早期の微小な癌細胞がみつかったことがある。いずれの場合も翌年のアフターチェックで異常なく、したがってステント(網かご)を入れるこ
となく、また「あと3年ほど検査に来なくていい」とうれしい通告をもらった。以来、大過なく過ごしてきた、いや、過ごしてきたつもりだった。

 しかし、今回の事態である。
肝臓はご存じの通り、「沈黙の臓器」といわれる。神経

組織がないゆえに自覚症状なく、気づいた頃には症状は進行し重症化し、大病化している。私の肝臓はホント、土壇場の当日まで、予兆の1つさえも教えてくれなかった。土壇場で突然に「でっかい腫瘍」という警告を発した。退院してこうしてブログ記事を書いているのも、石川県立中央病院の主治医らドクターのおかげなのだが、よくぞ正体が、悪性でなく良性であってくれたと思う。

それにしても、良性腫瘍はいつからわが沈黙の臓器に巣くい始めたのか。
膨張のスピードは? こぶし大まで数時間それとも1日間、数日がかり?
肝動脈に破れが生じたきっかけ、原因は? 
問えるものなら問うてみたい、わが沈黙の臓器に。
(写真=やじろべえ? それとも奴(やっこ)? 石川県立中央病院屋上からの眺め)
(続く)