すーてき散人空の紙

北陸発、テキスト偏重、テーマは原則その時々、気分次第の旬刊ないし月刊、あるいはときどき不定期刊のブログです。

<span itemprop="headline">名無しにするな 「梅鉢清水」</span>

●名無しにするな 「梅鉢清水」●


金沢市民芸術村公園の一角、大和町広場に勢いよく噴出する井戸水がある=写真=。しかし、現地にこの井戸水の名称標示なく、市民芸術村のホームページ(HP)にも紹介の記載はない。どうも市の広報対象から漏れて、残念なことに名無しの名水になっているんですな。以下は、名前探しの公園周辺ウォーキン

グの顛末。

   ☆公園は犀川近い元大和紡績金沢工場跡地で、市民芸術村と併設の職人大学校、大和町広場の3施設からなる。芝生広場の面積18000平方メートル、憩いの広場16000平方メートル。街中の広大な園地は防災備蓄倉庫を備えた指定避難場所であり、井戸水は災害発生時には貴重な飲料水となる。
 
  ☆過日、水飲み場の蛇口からペットボトルに水を汲む70代男性を見かけた。停めた自転車にびっくり。前後のかごに容量2㍑のボトルが隙間無く詰め込んであり、全部で十数本。西金沢から週に一度は来るそうで、「水道水でもいいけど、こっちの水の方がおいしいからね。名前?知らないな」。次々満杯にした後、自転車は重さに少々よろけながら遠ざかって行った。

名前は管理人さんに尋ねても「聞いたことないね。市民芸術村のHPにもない」。車にポリタンクを積んでやってくるファンも少なくないが、一番恩恵を受けているのは「(公園隣の)マンションの人たちでないのかな」。確かに日参は随時可能だ。農
繁期は夜間、閉門とともに水栓は締められ、農業用水として下流の安原地区を潤すそうで、特産スイカもおいしいはず。

  ☆それにしても、奔流のように湧き出す井戸水が本当に名無しなのか―。数日後、たまさかペットボトル常連組の85歳の女性に出会って話すうち疑問がとけた。住所表示変更前だからざっと50年前か、湧水口は市民芸術村寄りだったといい、
周辺一帯は「梅鉢清水(うめばちしょうず)」という地名・町名だったという。ちなみにネットで金沢の旧町名を調べると、「清水の周辺はウメバチソウの白い花が咲いていたから」と、わずか2行程度の説明だった。

公園の周辺を歩くと、確かに、住宅密集地に銭湯「梅鉢湯」の煙突が今もそびえ、町角の掲示板に町会名として「梅鉢清水」=写真

、「梅鉢町会」などとあった。
 
要は、紡績機を水力で稼働させた時代、梅鉢清水が工場
支え、工場は金沢市の財政を支えていた。さらには、地域の縁もふれあいも、そしてにぎわいも梅鉢清水が支えていたと分かる。
加賀藩前田家の家紋「剣梅鉢」とは直接結びつきはないようだが、群生していた花が梅鉢草とはちょっとできすぎではないか。きっと加賀藩の頃から犀川に発する城下きっての湧き水だったんだろうな、と想像したくなるというものだ。

   ☆さて、公園入り口にある大和紡績金沢工場をしのぶ石碑の碑文をあらためて読んだ。梅鉢清水のウの字もない。???である。目の前の芸術村事務所に寄り、公園管理について聞くと、市民芸術村(職人大学校併設)は金沢市芸術創造財団が指定管理委託を受け、防災拠点でもある大和町広場は市役所の直轄の由である。

とすると、管理管轄の狭間でHPから名水の記載はするりと抜け落ちてきたのかも知れない。言い換えれば、地名伝承断絶の憂き目に梅鉢清水はあるということ。知らない世代、知らない人が増えているのも道理である。
 
同事務所で手渡されたのは、「筆名・たぬきねこ」さんが
昨年8月(!)に発行したA4サイズの漫画冊子、『金沢れきし散歩~市民芸術村周辺を歩く」。現状憂慮の末の発行だったに違いなく、そこには、ランドセルを背負った女の子が祖父とともに名残をたどった梅鉢清水ウオーキングがあった。
この冊子の発意を反映するためにも、名水の名称と由緒のHP掲載を事務所に依頼した。「梅鉢清水」プレートの設置はもちろんである。
  きょうは、これにて。(長くなったな)。  
  (写真は噴出する井戸水と、梅鉢清水町会の掲示板)