すーてき散人空の紙

北陸発、テキスト偏重、テーマは原則その時々、気分次第の旬刊ないし月刊、あるいはときどき不定期刊のブログです。

<span itemprop="headline">消えた街頭時計</span>

◆消えた街頭の時計◆

最近、街頭で時計を見かけなくなりましたな。先日、繁華街を歩いていて、今更ながら(?)気づきました。

横断歩道の信号待ちで、目の前の百貨店外壁を見上げたが、時計が無い。周辺の建物を見回してもしかり。バスターミナルの電光掲示板にも時刻表示が見当たらない。金沢市の近江町市場前という市内屈指の繁華街なのに。

考えてみれば、今やだれしも一つや二つ、時刻を表示してくれるものを持っている。腕時計、携帯電話もしくはスマホ、忙しい人ならさらに鞄の中にモバイルパソコンあるいはタブレット…等々のいわば、時計機能グッズである。

つらつら推測するに、万が一にも街頭の時計が故障すれば、誤った時刻を公衆に提供することになる。かえって不親切であり、バス乗り遅れなどのトラブルを誘発しかねない。老いも若きもみなさん、正確な時計をお持ちなのだから、街頭になくてもいい、いや、ない方がいい! この際すっきりと。ということだろうか。街角から、たばこ吸い殻入れ、ゴミ箱が消えた論法と似たり寄ったり?

小生、ケータイ以降は、腕時計を着けたことがない。で、先の横断歩道信号待ちのあと、不覚にも地下商店街でスマホが電池切れした。書店にも時計がない。やむなく、通りがかりのお嬢さんに「スマホの電池が切れたので、すみませんが、今何時ですか」。このお嬢さんも〈腕時計サヨナラ派〉らしく、ショルダーバッグの中をごそごそと手探りし、携帯画面を開くと表示通りに「18時27分です」と。今年5月大阪駅再開発ビル周辺を歩いているときも街頭に時計が見当たらず、難儀した。交通整理の係員も「そういえば、どこにも時計ありまへんな」。

どうやら、携帯電話の普及とともに消えたものは、一に公衆電話ボックス、二に街頭時計のようである。街に出て〈時刻難民〉とならぬようご用心、ですぞ―。
それにしても頭や壁に時計を載せた塔や建物が恋しいですな。
 きょうは、これにて。