すーてき散人空の紙

北陸発、テキスト偏重、テーマは原則その時々、気分次第の旬刊ないし月刊、あるいはときどき不定期刊のブログです。

<span itemprop="headline">焼酎ネーミングシリーズ《34》胡坐、坐忘</span>

焼酎ネーミングシリーズ《34》
今回は「胡坐」と「坐忘」。座ではなくて、旧字の坐の付く銘柄2つについて。
胡坐という漢字2字のどこがどうなったら「あぐら」と読めるのか、とんと見当がつきません。もともとは「あ・くら」(足と坐)だったとか、厳密には「あぐら・ざ」だったとの説もあるようですが、どうなんでしょうか。
坐忘なんて、よほどのことがないかぎり行き当たらない仏教、禅宗系の言葉ですね。たまに飲食店の名に好んで使われることもあるようですが‥。


◆胡坐(あぐら)
(福岡、池亀酒造、麦)

● その昔「アングラ」という言葉が流行りましたな。
新宿の夜、ビル地下1階の店への降り口、「地下劇場 アートシアター」と看板が

立てかけられていた。学生には入りづらいまがまがしさがあり、これがアンダーグラウンド、略してアングラとの初遭遇――。

● 「アグラ」と聞くと、「何っ、アングラ?」と反応するんですな。「かなりやばい、危なっかしい、きわどい、スレスレの‥‥」あのアングラかと。

新宿
周辺には天井桟敷や赤テント、黒テント早稲田には早稲田小劇場などなど、若者の前衛劇団が社会に、既成演劇に挑むように次々と誕生した。寺山修司の放ったフレーズ「書を捨てよ、街に出よう」は何やら焚書坑儒みたいで衝撃的だったし、浅川マキの歌うけだるく退廃的なしかし希望も見える「夜が明けたら」「かもめ」などはまさに時代を風靡。彼女は石川県石川郡美川町(現白山市)の出身ですから、お忘れなく。アングラの牽引者たちはやがてみな、地上へとせり上がりを果たしましたとさ‥‥昔話。

っ本題は「胡坐」だぁ?、ならばすぐ場面転換。

「胡坐」の漢字2字、どこがどうなれば、あぐらと読めるのか不可解至極。普通ならコザと素直に音読みしますな。

何っ、コザ? 
沖縄のコザ高校が甲子園に出場してきたとき、コザ市というカタカナ自治体名にびっくりしました。カタカナだとその地名が生まれた由縁、由緒なんて想像もつかない。その後、
沖縄市に改名したが、今度はうかつにも県庁所在地と誤認してしまう。何しろ沖縄県沖縄市だから、ついつい県を代表する市と早とちりするんですな。山梨県山梨市と同様で、あぁ、ややこしい。

沖縄市の「嘉手納基地の見える丘」で、胸が締め付けられるような光景を目にした。デートにやって来た、まだ二十歳前くらいの茶髪の男女、一面のコンクリートの基地、数多の大型ヘリ、戦闘機を一望して黙りこくってしまった。故郷の街のど真ん中を占める〝超重たい現実〟に打ちのめされてしまったのです。沖縄の子がオキナワの子に変わる一瞬みたいな。あれから二十余年、二人はそれぞれに、現実をどう消化し、どう向き合ってきたのか、向き合っているのか。尋ねてみたい気もする。ちなみにネットを見る限り、丘の名称は、より政治的メッセ
ージ性の強い、安保の見える丘公園に改名したようです。

さらに本題に戻ろう。
中国では胡は異民族のこと。島国日本で指す征夷、攘夷の夷(えびす)、外敵に相当するのかな。異民族の座り方だった「胡座」が巡り巡って日本に入ってきたようです。戦国時代の武士はテレビ時代劇を見ていると、胡坐からそのまますっくと立ち上がる。現代人は、床に手をつき、ようよう、ヨッコラショとばかりに立ち上がる。放っておくと現代人はいつまでも楽に〝あぐらをかいている≫癖があるようですな。せめて、気持ちだけでも常に正座で―、気持ちだけでもいつでも立ち上がれるよう蹲い(つくばい)の姿勢を、蹲踞(そんきょ)の姿勢を心掛けましょう―。


●坐忘(ざぼう)
(鹿児島、さつま無双、芋)

「坐忘」、坐して忘るる。字面に意識を集中させると、徐々に雑事を忘れ、心頭滅却の心地に近づいていくような‥‥。焼酎のネーミングになぜに、仏教哲学さもあらんとの、高邁な言葉を使ったのでしょうか。

ざぼう。ザボウ。ルビは、ひらがなでもカタカナでもいけそうですな。
勧進帳」に武蔵坊弁慶がいれば、北島三郎の歌う「加賀の女」には♪君と出会った香林坊~(おっと、これは金沢の地名)と出てきたし、立山芦峅寺の教算坊とくれば地獄極楽山岳信仰を支えた宿坊の名前の1つ。
和英チャンポンで、
「The坊」となれば、至高の僧侶、地名、寺坊を指すのではありますまいか??。

ついでに、BOSEという米国の音響メーカーがあります。この社名に同じように定冠詞THEを付ければ、「ザ・ボウズ」。一段といい音が出そうですな。これを無理矢理、漢字アルファベットで書いて「坐忘‘s」。所有形ながら「美音追求」にかける音響メーカーの社是であるとの雰囲気が出てきませんか。しかし、メーカーはさすがに怒るだろうな、〝座して忘れてはくれない〟だろうな‥‥。

真面目に本題に戻る。『坐忘』の意味について考察。
曹洞宗の開祖、道元禅師の残した言葉『只管打坐』(しかんたざ)と『身心脱落』『坐忘』三者をコラボさせれば、仏心浅き者でも理解しやすいのでは。
つまり、ただただひたすら坐禅し、身心のこと意識から抜け去って、そうしてすべてを忘れ、眼前の現(うつつ)を超越する、即ち悟りを得る――。

只管打坐だのと言われてもな~という向きには、だるまさんが目の前にちらついてきませんか? インドから中国に禅を伝えた達磨大師は、面壁九年、とうとう手も足もとけ失せて、ようやく悟りの境地を得たという、伝説の高僧中の高僧ですな。じっと瞑目どころか、逆にかっと眼を見開いていなさる―。だるまさんに親しみをこめつつ、坐忘の心境を教わりたいですな。

それにしても、旧字の「坐」は屋根も軒も庇もないアウトドアの、原初的な樹下坐禅を連想します。一方の「座」は、屋根も軒も庇もあるインドアの、堂内座禅を連想します。部首「まだれ」の有無ひとつで、禅修行の風景が全然違って見えてきますな。焼酎「坐忘」は、姿勢を正してゆるり味わいましょう。

(坐忘は、特約店の独自ブランドらしく、金沢圏の酒類量販店、専門店にボトル現物なく、写真掲載は見送りました)

きょうは、これにて。
ポパイに、ほうれん草
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