すーてき散人空の紙

北陸発、テキスト偏重、テーマは原則その時々、気分次第の旬刊ないし月刊、あるいはときどき不定期刊のブログです。

<span itemprop="headline">番外 スーパームーンに換えて月々の地名</span>

番外 スーパームーンに換えて月々の地名

▽月、花、富士は日本の感性3要素
月夜野、月ノ会に文学の香り
▽月隈は望月への反骨を象徴?

 9月27日の中秋の名月も、翌28日の「いつもより大きく見える」というスーパームーンも残念ながら見損ねた。天気の案配と急用の出来で2日間とも夜空を愛でることなく過ぎてしまったのである。心残りを今回、月の字の付く地名に託してみた。

 目にした月はご覧のとおり、丼鉢の中…‥。月見うどんの「月」はさながら丼の小宇宙

の、雲間に浮かぶささやかな満月と見えるのである。

金沢市月影町、いいね
 黄身の満月や月の詩的情趣に惹かれたわけではないが、そういえば金沢市には、全国的にもまれな「月影」という地名がある…。連想したのが、『月影のナポリ』(スパゲッティではありません、森山加代子歌う昭和の歌謡曲)、次いで蜘蛛が大
の苦手で酒のアテには卯の花が大好物の、庶民的すぎて剣を抜くまで強いんだか弱いんだか分からない時代小説『素浪人 月影兵庫』…‥。
月影の語感、いいね。

 ほか、石川県には月浦、
籠月(こもつき)、月橋、月津、木原月、皆月、そして能登町には花見月がある。石川県には月を愛でる地名がことほど左様に多く、花鳥風月を好む県民性かなとうかがい知れるのである。

 それにしても、能登町の「花見月」は、大判振る舞いなこと。
 思うに、花(桜)と月と富士は、やまとごころの三大要素と推断するが、
うち二つを一つの地名でまかなおうと言う。花見だ、月見だ、やれ宴の旨酒だー。こんな感じで、きっと酒が進む地区なのだろうな?
 
花見月には▽植物ハナミヅキに雅な字をあてた、▽単に陰暦3月の異称だという説明もありますが、ここはむしろ、よくぞ「花水木」でなく、「花見月」の当て字を選んでいただいたと、能登の先人に感謝したいと思う。 

 江戸では富士が見えただけで欣喜雀躍し、なにしろ浮世絵師・葛飾北斎は、富嶽だけをモチーフに実に三十六景のシリーズを完成した。「富士見~」という地名は今も東京23区のビル街、商業地、住宅地などの一角に残っていて、チラとでも見える富士の姿が、江戸時代から庶民の心を癒やしてきたと分かる。いってみれば、「富士見セラピー」ですな。
 北陸には富士は無縁だが、なんなら雪見酒も関東におまかせしましょう。38豪雪を知る身には、雪見酒はつらいから。

 以下、月の字の付く印象深い地名を、ネットサーフィンからいくつかピックアップしてみた。

▲「月夜野山梨県
年賀状の住所に月夜野と手書きするとき、差出人はきっと誇らしい気分でしょうな。何? プリンタで打ち出している? 至福の心地する文学的な地名なのに、あぁもったいない。宛名に書くとなれば、いい所にお住まいでと、うらやましくもなる地名ではある。「月夜田」(京都府)もあるが、情趣は月夜野のほうが格段に上ですな。

▲「月ノ会」(つきのえ、岐阜市
 月明かりを雲がさえぎり、左と右から男女の人影が寄り添うて来る、と解しましょ。何しろ「かい(漢音)」ではなく、「え(呉音)」と読むのだから。せつない逢瀬。文学の永遠のテーマの一つがほのと香ってくる地名には違いありません。

▲「月隈」(つきくま、福岡県)
『月は満ちたるものをのみ愛でるものかは…』と反語的に満月(望月)称揚に異議を唱え、欠けた月の味わいに言及したのは徒然草の著者、兼好法師。これ以上満ちようのない望月ならまだしも、まさか月隈という地名があるとは! 藤原道真もびっくりでしょうな。実に反骨精神あふれる地名ですな。

▲「月折」(つきおり、岩手県
折るとはゲンがよろしくない。もともとは、お月さんがまだ居てまっせー だった?。おりはおりでも、居から折に変化したと推測します。

▲「吐月」(とげつ、岐阜県
月を吐くなんて…あまりきれいではありませんな。さえぎる雲を風が掃いてくれ、隠れていた月が現れた。「掃く」から「吐く」へ変わったのでしょうか。音ではどうしても渡月橋(京都)の方に引きずられます。

▲「月読」つきよみ京都府伊勢市
伊勢神宮の別宮に月読尊(みこと)をまつる月読宮がありますな。ちょっと異質な字の組み合わせ。月夜見ならすんなり嚥下できます、腑に落ちます。

▲清月、月見、月岡、月浦など(北海道)
北海道は月の付く地名が多く、およそ十と半ばを数える。忖度するに、明治期開拓に携わった人たちの望郷の念、ふるさとで見た月の思い出が地名にこもっているのかもしれません。

末尾に▲大月(山梨、茨城、岐阜、栃木、徳島、新潟、福井県など)
大月とは、ひょっとしてスーパームーンのことではないか。地球を周回する月の楕円軌道のうち、月が短径の極に達したときが、地球から最も近く、したがっていつもより月が大きくも明るくも見えるーー。
いにしえの人々は、科学的な説明がまだ無く、また説明できずとも、スーパームーン現象を日々の観察から感得していたのではないか。
スーパームーンより端的、的確な
「満月より大きい満月」の表現、それが地名に残る「大月」だと思えますな。一割あまり大きいだけのスーパーより、素直に意味も一目瞭然の「大月」の方がよほどいい。日本の感性にもふさわしい。(スーパームーンは正式の天体用語、気象用語にあらずとか)。

きょうはこれにて。
     ポパイには、ほうれん草
     ブログには、いいねボタン