すーてき散人空の紙

北陸発、テキスト偏重、テーマは原則その時々、気分次第の旬刊ないし月刊、あるいはときどき不定期刊のブログです。

<span itemprop="headline">絶望の淵から希望の地平へ 《弐》</span>

絶望の淵から希望の地平へ 《弐》

●腫瘍は血液の塊、良性だった●

カテーテル手術で肝動脈修復
▽医師の姿、神々しく


再度緊急転送され、3つめの病院。
石川県立中央病院でも造影剤CT断層撮影の検査を受けた。こぶし1つ半ほどの大きな腫瘍は、なんと血液のかたまりだった。画像の読影と諸々の検査結果による結論の〝エキス〟を、長男は医師から、「大丈夫」という趣旨の言葉で聞いたようだ。前夜から一睡もできず半分うつろな私の耳元に、家族が「黒いのは、血液のかたまりだったから」と、そう伝えてくれた。

それが良性腫瘍を意味するとは、まだ私も家族も、思ってもいなかった。最悪、死ぬということだけは免れたのかなと、せいぜいそれぐらいの認識だった。

今思えばそれが、沈みかけた絶望の淵から、希望の地平へと浮揚していく転換点だった。


手術台で覚えているのは医師の「今から、太ももの血管からカテーテル(細管)を入れますからね」という一言。
数時間後、日曜の昼過ぎ、手術室に近い救急病棟のベッドで目覚めた。
『手術無意味、手遅れ』だったはずが、カテーテル手術を受け、ゼーゼーという呼吸困難から、上腹部の激痛から、そして何より「死を覚悟」から解放されていた。

消化器内科の主治医ら二人がベッドサイドに最初の回診に来てくれたとき、あまりに神々しく見え、感謝のあまり、言葉とともに涙ぐんでしまった。前日土曜の夕方からの経緯が経緯だっただけに、本当に命と人生を助けていただ

いたと思う。7月5日から6日、日付をまたいだ永~い一日だった。(写真はイメージ)

 主治医に尋ねると、病名は、肝血腫(血マメのような肝血管腫ではない、念のため)という。腫瘍は腫瘍でも悪性(癌)でなく、良性の腫瘍だったのである。肝臓を栄養する肝動脈が破れ、漏れ出た血液が肝臓内にたまりにたまって大きな腫瘍となり、そして破裂していた。
(入院診療計画書には病名「肝腫瘍破裂」、手術内容「肝動脈塞栓術」と記録されており、
救命救急センターに着いたときには既に、破裂していたらしい=この段補記)。

肝動脈の破れは、カテーテル手術により止血され、ふさがれ、修復された。血腫の方は、発熱を伴いながら時間をかけて少しずつ体内に自然吸収されていく、という。
良性の腫瘍とはいえ、もたらした血流障害と腹腔の他臓器圧迫が、発作のような症状を引き起こしたのか(肝動脈が破れた原因については、血腫という曇
りが取れたあとのCT検査を待たねばならないが)。

考えようによっては、失礼ながら2つめの病院に「誤診」があったから、巡り巡って3つめの病院で、私の生は助かったのかも知れない。県立中央病院で出会ったドクター、スタッフによる正確な診断、適切な措置にたどり着けたのだから。

カテーテル手術後の絶食の続くベッドで、家族が持参した2つめの病院の『転移性肝癌~』の診断書コピーをあらためて見つめた。もし、抗癌治療や制癌治療に入っていたらと思うと、正直、怖い…。一晩とはいえ「死を覚悟した」経験は、正直なところつらすぎた…。
しかし、まだ一週
間も経っていないのに、「…もう過去のこと」と思えたのである。それほど、手術から目覚め、転移無縁の良性腫瘍と分かったときの喜びは大きかった。

14日後に退院できた。「いつもの日常」に戻ることができた。2つめの病院の入院を加えると都合16日間の、私なりの「肝臓の大きな腫瘍との闘病」だった。「絶望の淵から希望の地平へ」と題して綴っておこうと思った所以である。

(続く)