すーてき散人空の紙

北陸発、テキスト偏重、テーマは原則その時々、気分次第の旬刊ないし月刊、あるいはときどき不定期刊のブログです。

<span itemprop="headline">どうにも熱い、焼酎ネーミング シリーズ10</span>

 シリーズの第10弾に到達しました。焼酎の〝ラベル連想の旅〟を続けていると、蔵元さんの思いもかけぬネーミングにつられて、時間軸を遠く、古代へワープすることもあります。取っつきにくいけど面白い、世に歴史好きの多いゆえん? 今回は、威儀を正しつつ「天孫降臨」と「不阿羅王」について

 既掲載は
(シリーズ9◆晴耕雨読◆おやじの誇り) 
  (シリーズ8◆この地に天使が舞い降りた。 天使のささやき 恋あじ◆両思ひ)
(シリーズ7◆今も昔も焼酎は、西、岩倉 月の中◆二階堂 吉四六
 (シリーズ6◆虎の涙◆蔵人の戯れ)
(シリーズ5
◆いも神◆元祖やきいも)
(シリーズ4◆魔女からの贈りもの 魔法のくちづけ◆うわさのいい夫婦)
(シリーズ3◆
百年の孤独◆問わず語らず名も無き焼酎)
(シリーズ2◆銀座のすずめ◆とんぼの昼寝)
(シリーズ1◆六地蔵の夜仕事◆我伝直伝)



畏れ多くも…神話の里の命名
既視感ある「未知との遭遇」シーン
天孫降臨
(宮崎・神楽酒造、芋)

畏れ多くも…、商品陳列の棚に、高千穂神話の世界を見つけました。ラベルに墨黒々と「天孫降臨」。蔵元は「神楽酒造」でした。こういうのを多分、ベストマッチ

というのでしょうな。地元だから許容されるネーミングでしょうな。

ラベルからはこんなイメージがーー


高天原から雲の舟がゆっくりと降りてくる。立ち姿の天孫ニニギノミコトとその一行を乗せて、静かに静かに地上界に近づいてくる。天孫の〝未知との遭遇〟ですな。

どこかで見たような、いわく既視感のあるシーン。思い当たるふしが、ないでもない…。

伊勢神宮式年遷宮と、出雲大社の本殿遷座祭が重なった昨年(二〇一三年)、出版界にちょ
っとした神話特需の風が吹きました。伊勢、出雲そして高千穂の、神話の里特集が相次ぎ、全国各地の古社がパワースポットとして紹介もされました。
 そう、書店巡りを一向に厭わない輩の頭の中にも、いつの間にか天孫降臨があったようなのです。既視感とはこれだった―。

降臨の主語は、あくまで信仰の対象である神仏。さすがにはばかられたか、「降」の一字を「下」に変えて広まった言葉が役人の天下りとか。近年の芸能界では、〝多人数女子歌手ユニット〝で総選挙、降臨があるようですな。
初めて芸能ニュースで耳にしたとき、さすがに目が何度も白黒しました。そこに敬意も品格も感じられないのは、だれにもすぐにそれと分かる人気宣揚策だからでしょう。神話の世界の言葉をそのまま芸能界に持ってくるときに、ためらいはなかったのでしょうか。多人数ユニットの仕掛け人が、名曲「川の流れのように」の作詞者であるだけに、残念至極ですな。
 
宮崎市内のとある縄のれん(居酒屋)で、カウンター席に座ったとたん、「敏感、鈍感どっち?」と問われたことがある。訳分
からぬまま「敏感!」と反応しました。飲みながら店主に尋ねると、「まぁ普通にいえば熱燗、ぬる燗たい」。ーーう~~む、そういうことか。「こちら敏燗さん、そちらは鈍燗さんで」。熱いだの温いだの物理的表現でない分、人的親近感を覚えますな。

敏燗にしてもらった焼酎は、天孫降臨の舞台、高千穂峰のある霧島連山のその名も「霧島」(霧島酒造、芋)。カウンターで居ずまい正しく呑みました。用語に限らず、敏感! でありたいですな。



ファラオ? 何で古代エジプト
時空を超え、SHO-CHU海外へ
不阿羅王◆
(宮崎・王手門酒造
、芋)

当て字には当て字の妙がありますな。漢和辞典、類語辞典、語源辞典などひっくり返していれば、ターゲットとする対象にふさわしい表意文字が浮かんできて、いくつかを組み合わせれば、イメージが整って

くるから不思議です。無機質な、カタカナ外来語が今回、蔵元さんの当て字によって俄然、精彩を放ってきました。

ふ・あ・ら・おう 聞いたことないな。不動明王愛染明王阿修羅王孔雀王に蓮華王。明王シリーズや十三大王にもそんな名前ないぞ。
  〝新作〟の王??
と思いながら、もう一度ラベルをみると、はっきりファラオと添え書きがある。

えっ、古代エジプトの、ピラミッドの時代の、国王のことファラオ? 何でファラオが焼酎のラベルの中に居るの? 何で棚に並んでいるの? 面食らうとは、こういう場合を言うのでしょうな。 

九州から一気にアフリカ大陸へ、さらに時間軸を、古代エジプトへとワープ。日本の蒸留酒は、国内市場から国際市場へ、さらにグローバルな市場に向けて雄飛した?!のです。「焼酎」から「SHOーCHU」へ。地球儀回転の挑戦が始まろうとしています。(ちょっと、大げさ過ぎか)。 

  それにしても、うまい当て字ですな。

《不阿》ーー曲学阿世は、真理を曲げてまで世におもねること。公害裁判では時々、御用学者として現れ、その後、誤用学者になったりします(ちょっと表現キツイですが)。
《羅》ーーー網羅、森羅万象を連想すれば良い。羅は薄地の網をいい、すべてを意味することも。世の善し悪しをくまなく掬い上げるー。

総合すると、《不阿羅王》とは、世の特定の一部におもねることなく、世事の万端、すべてを掬い上げ、そうした上で治世の判断を下す為政者、ということになりますな。国や地域の為政の立場にある人、以て瞑すべしとしてはいかがでしょう、当て字のネーミングに完敗を、いや乾杯を。

きょうは、これにて。次回シリーズ11で。