すーてき散人空の紙

北陸発、テキスト偏重、テーマは原則その時々、気分次第の旬刊ないし月刊、あるいはときどき不定期刊のブログです。

<span itemprop="headline">「銀盤の申し子」の証明</span>

 ☆幼い女の子がポニーテールの髪をなびかせてリンクを滑り、跳ね、練習している。疲れたのか、気づいてみるとリンクの銀盤に大の字になっている。エッジで削られた冷たくとげとげしい氷の上だ。えっ、そんなことできるの、する子がいるの?  びっくりしました。

  ☆テレビCMで目にした、おそらく就学前後の浅田真央選手の姿。楽しそうに、天真爛漫、純粋無垢な「まおちゃん」はこのとき、スケートリンクの天井の向こうに何を見ていたのだろう、何が見えていたのだろう。私が今も覚えている「銀盤の申し子」の映像である。

ショートプログラムはジャンプが失敗し16位と失意の淵に沈んだ。しかし、一夜明けたフリーでは、一条の布がゆらゆらと流れるようなスケーティングのうちに難度の高い8つものジャンプを難なく跳んで、五輪の大観衆を魅せた。「もてる力すべてを出し切った満足」の涙と笑顔は、申し子のオーラに包まれて日本どころか世界を魅了し感嘆させたのである。
 
  ☆前日も、この日もライブ中継で見た。ニュース映像でも見た。何度も見るうちにこう思った。
  金銀銅メダルって何? タイム、距離、高さだけが勝負を分ける競技種目はまだしも、人が審査する採点競技って一体何なのさ? メダルのことはもうどうだっていいではないかーー。それほど真央選手のこの日のフリー演技は、メダルの域を超えて輝いていたように思う。海外の過去のメダリストたちが寄せた「MAO絶賛のツィッター」が何よりのその証ではないか。

  ☆それにしても、失意の淵から1日間、銀盤の申し子「まおちゃん」はいったい何を見、何を思ったのだろう。どうしたらあれだけの失意から“ハイジャンプ”できたのだろう。1日間の葛藤を聞いてみたい気もする。幼児から80歳、90歳の高齢者までがちゃん付けで親しみを込め声援を送る選手はそうそういない。これも申し子のゆえんか。