すーてき散人空の紙

北陸発、テキスト偏重、テーマは原則その時々、気分次第の旬刊ないし月刊、あるいはときどき不定期刊のブログです。

<span itemprop="headline">おうどん?</span>

◆「おうどん」になったうどん
◆上品な食べ物に昇格?

 金沢市内で、玄関の小さな隠れ家風の小洒落た店が目に入った。
のれんに目をこらすと「おうどん」と染め抜かれている。
おうどん?、おうどん??、おうどん???。
初の遭遇。何度つぶやいてみても、違和感否めず。

  おビールなんてのは、勘定の高そうなクラブとか料亭とか、あえて言うなら、うちはちょっと一線を画していますのよ的な店で、きれいどころが言うなら、まぁすんなり聞き流しも流されもしよう。人口に膾炙し過ぎていて、今更逆ねじを巻くのもしんどい。
されど、たかが(失礼!)うどんが、いつごろから「一線を画す」ようになったのだろう。
 京都あたりのはんなりとした町で、はんなりと「おうどんなど、いかがどすえ?」と促されたなら、「へー、おうどんか、京のはんなり言葉は何にでもおをつけるのか」と戸惑ってしまう。
 うどんの“お付き”はしっくりきませんな、よろしくないな。
 これが「手打ちおうどん」あるいは「お手打ちうどん」と称されたときには小生なんぞ、手打ち加減のゆるいうどん、あるいは手打ち不足のうどんと受け止めてしまうに違いない。

 金沢には「加登長」「お多福」という、うどんそばの二大のれんがある。長年修業してきた親方から独り立ちを許され、のれん分けを受ける。この慣習というか仕組みは、ロイヤリティーで結びついたフランチャイズとは全く違う。のれんは一言で言えば、地域が育んだ味と人情の集成なんである。
そんな土地柄で、おうどんは果たしてどの程度受け入れられるだろうか。行く末、気にはなりますな。

  そばはたぐる、うどんはすする、という。「おうどん」だと勢いよくずずずっーとすすれない。おちょぼ口で上品にとはなかなか参らぬのが、庶民の味と言うものだろう。お付き言葉はせいぜい「おビール」だけで十分だ。

きょうは これにて。