すーてき散人空の紙

北陸発、テキスト偏重、テーマは原則その時々、気分次第の旬刊ないし月刊、あるいはときどき不定期刊のブログです。

<span itemprop="headline">番外 大宅壮一文庫、お江戸上野広小路亭</span>

番外 またぞろ東京、北陸新幹線
ついに、とうとう、大宅壮一文庫
ついつい、駅最寄り上野広小路亭


 〇昨秋に続いてまたぞろ東京に所用があったのを幸い、ついでに、長年アタマの片隅に引っかかっていた所を訪ねてきた。これまで機会なく、いずれ、そのうち、いつか…と先延ばしにしてきた所。それが今回やっと実現した。こういうのも「宿願を果たした」、なんて言うんでしょうな。

大宅壮一文庫(世田谷区八幡山 

 一億総白痴化、という言葉知ってまっか?
 今から思うとアホなテレビ番組でしたな。♪野球するなら〜〜よよいのよい。ジャンケンで負けた方が脱いでいく、あるいは身につけたものを外していく。放送倫理という言葉が番組制作者の視野にあったものかどうか、ともかくコメディアンコンビが会場と一緒になってはやし立てるこの野球拳番組、結構な高視聴率をとったんですな。おもろうて、やがて悲しき…。
 さながら妖刀一閃のごと
、当時のこんな世俗をたった6文字で斬
ったのが希代のジャーナリスト・評論家、大宅壮一翁。その造語が「一億総白痴化」でしたな。
  わずかの主述6字に、世相への怒りと嘆き、そして時代の状況、主張までもがうかがえる、究極の短文による堂々の評論でしたな。

  当初の20万冊から今は70万を優に超える冊数を収蔵する、一人のジャーナリストの遺志を継いだ雑誌の図書館。「大宅壮一文庫」の入館料は5百円でした。収蔵から検索、利用、管理、維持、運営まで…とっさにこの額で大丈夫?と思ったほど。
 フロアを見回したところ、利用者はラフなスタイルの30代、40代が多く、フリー、非フリー、その他はともかく、みなさん時代を懸命に追うライター、記者、あるいは時代を調べようという人たちには違いない。
 
1階でパソコンに向かい記事検索中、2階で積み上げた週刊誌を閲覧中といろいろながら、勝手な私語を許さない張り詰めた空気の漂うスペースではありました。壁に飾られた大宅壮一翁のモノクロ写真が、年月と世代を超え、たまさか集った“後輩たち”を励ましているようでもありました。
 小生も古びた週刊誌10数冊を積

み上げて、1階と2階を行ったり来たり在館2時間半。
 つらつら考えてみるに、大宅壮一翁は、読み捨てられがちな数多の週刊誌、月刊誌等の記事を、時代の一面を捉えた「文献資料」「史料」と認識しアーカイブ(文庫)として残した、と言えるのではなかろうか。いわば名も無き書き手たちの所産を正当に評価した人だった。だからこそ、雑誌の図書館として今も存立している。
 ここでふと思い出した。土の中から出てきた雑多な縄文土器を、その紋様、造形を「縄文の芸術」と讃美した岡本太郎を。
 大宅壮一岡本太郎、二人の共通項を強いて挙げるなら、分野、対象こそ違え「正当な評価者」ということ。 見過ごされ捨てられかねない所産を、大
事な宝物として掬い上げた。
 帰途、本八幡駅前のベーカリーで食した熱いカレーパンとコーヒーのうまかったこと、宿願を果たした一服でした。



 ○お江戸上野広小路亭台東区上野)

  交差点のビル壁面に大きな寄席文字が目を引く上野駅最寄りのこの寄席に、初めて入りました。鈴本演芸場とは競合するような近さ。
 スリッパに履き替えて階上に上がってみると、マイクのなかった頃かくありなんと思われるほどのこじんまりとした舞台、高座があり、なんとも親近感を覚える寄席。ちょうどプログラムの半分が終わった「お仲入り」あとだったためか、半額の千円で入場。

 演目は、小生の幼い頃、祖父が図体のでかいラジオ
から聞いていた浪曲、バランス芸の大神楽、そして、名調子とともにピシッバシッ張扇の音響く講談。プログラムを眺めてビックリ。すでに終了した落語の五席も、なんとみな女流演者。題して、新鋭女流花便り寄席だったとは。
 古典芸能も女流の進出めざましく、広沢虎造の頃とは違うんだなと再認識。ステージが近いだけに迫力満点でありました。次、上野に来た時には、鈴本かな、広小路亭かな、さすが大衆の街・上野ではありました。

 きょうは、これにて。
  ポパイに、ほうれん草
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(了)