すーてき散人空の紙

北陸発、テキスト偏重、テーマは原則その時々、気分次第の旬刊ないし月刊、あるいはときどき不定期刊のブログです。

<span itemprop="headline">番外 なら燈花会、あの箸墓古墳へ</span>


盂蘭盆へ石も走った北陸道 卑弥呼の墓?にもごあいさつ
 
● この夏のマイイベントの一つは奈良行きだった。(写真は順不同です)

● 仏都・奈良の万灯会なら燈花会」に、石彫り愛好グループ「石川の石を彫ろう会」から作品20点が“参加”。薄明かりの園路に映える作品群に、金沢から遠路はるばる、奈良公園に対面しに行ったのである。


● 猫が仰向けに眠っているのか、肉球でじゃんけんをしているのか、あるいは腹が鳴ったのか、タイトル「ぐー」。子供たちが肩を組みたき火を囲んでいる「」、鞍馬天狗の頭巾のようにも見える吊り灯籠風「ほたる」など…、素人が思い思いの形に彫り上げた灯りの作品群は、いろいろ想像させてくれるのか、カップルや親子連れになかなかの人気でした。奈良出張展示の甲斐あったというものです。

 自作のタイトルは「天地相聞歌」(写真)。
こちら天・・お~い元気か? 大丈夫か?
こっち地・・大丈夫だ~、そっちはどないや?
いつのまにか、天地が逆になってらぁ
逆立ちは疲れるな
めまいはする、頭痛もしてくらぁ
宅配業界では天地無用と、

アパレルではリバーシブルというらしいけど
かなわんなぁ。元に戻れるのかな。
人知れず、ボヤイテマス。
奈良公園で5日から14日まで。石は16日、トラックで復路を金沢に無事帰還=写真》

翌日は近年、卑弥呼の墓と俄然有力視される前方後円墳、「箸墓古墳」(桜井市)に立ち寄った。三輪山を望む巻向地区に入り、尋ね訪ねて田んぼ道をひょいと曲がると、柵の続く緑なす小山はあった。全長280メートルとか。

鳥居脇の高札に
孝霊天皇皇女 倭迹迹日百襲姫」とある(写真)。

折りよく、橿原市出先機関から軽トラで下草刈りに来ていた若い宮内庁職員と遭遇。これ幸いと姫の名の読み方を聞いた。

やまとととひももそひめ
まったくもって舌をかみそうな。ふーーん???と言うばかり。
日本書紀に記され眠る姫の名だそうだが、この被葬者の実体が果たして、日本史の永遠の謎、邪馬台国の女王、卑弥呼なのか。
幹線道路沿いには、「ひみこの里」の大きな看板が立ち、桜井市のHPも「ひみこの里」をキャッチフレーズにふるさと振興・観光振興に力が入る。
宮内庁職員氏に「地元はすっかり断定調ですね。卑弥呼の墓と裏付ける決定的な埋葬品が、実はもう出ているのでは?」と尋ねたが、当然「……」だった。民間の興奮はさておき、
やはり、あくまで、まだまだ陵墓参考地らしいのである。

● それにしても比定されている姫の名。気になりますな。
単に音を示す漢字を連ねたか、ある程度、漢字の表意性も汲んであるのか。
ちなみに書紀によると、夫の正体を三輪山の蛇(蛇神だった)と知り、嘆きのあまりか、あるいは怒りのあまりか、姫はほと(=古語)を箸で突き刺し亡くなったとか。

自死ですな。

近畿の一部県にはサ行の第5音、九州の一部県にはば行の第5音を二つ連ねた、あたりをはばかる方言があるとか。誤解を恐れずに言えば、先述の「迹迹」(トト)と同系列ではなかろうか。日本書紀にみえる姫の名は、なにやら姫の自死の経緯を、物語をあっけらかんと語っているように思えるのだ。
古代の葬送のネーミングはかくもおおらか?!でありました。(この段、余談)

ほか、会員仲間3人で石舞台古墳法隆寺など巡ってきた。(写真は16日、金沢に帰着したトラックから石作品を降ろす作業)

   きょうは、これにて。
ポパイに、ほうれん草
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(了)